ニューヨーク祈りのコンサート

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天女座物語スペシャル
〜ニューヨーク祈りのコンサート2001年12月12日〜19日

20年前、自分にとって音楽は何か探していたニューヨークに来た。
離婚してもう一度音楽でプロになりたいと子供の頃からの夢に向
かって歩み始めたが、クラシックでもジャズでも何か違うと感じて
いた。
ホストクラブのバンドマンで、ホストの歌謡曲の伴奏をしていた私
にとってプロになることは、夢のまた夢。
でも、何かを掴みたくて、なけなしのお金をはたいて、一人でやっ
てきた。
しかし、ニューヨークで聴いたジャズピアニストのハンクジョーン
ズやトミーフラナガン、トランペットのアートファーマ−、ハーレム
の小学校でサックスのジョニグリフィン...黒人たちは、命がけ
で演奏していた。
その姿を見て、ショックを受けた。
ジャズを真似してもかなわない!自分の言葉で話さなければ!

失意のまま、帰国。やがて、シンセサイザーに出あい、オリジナル
を作曲し始める。
音楽家への道は、苦難の道だった。いつも明日辞めよう.....
と思う日々。
仕事はなかったし、苦しかった。

やっと10年前から意識が変わり、成功や有名になることではなく、
演奏を聴いて喜んでもらえたらと300キロの機材を担いでどこに
でも出かけるようになった。

阪神大震災の時も3回くらいコンサートをした。
何かお役に立てれば...と思った。

9月11日の世界貿易センターのテロ事件が起こったとき、メールで
呼びかけて10月6日に東京でいのちのコンサートをした時、日航の
黒木安馬さんが、講演に駆けつけて下さり、打ち上げで「ニューヨー
クで演奏したいですが、機材を運ぶ手段がないのです。」
と話したところ、「やりましょう!」

300キロの機材運搬を無料でやってもらえるために黒木さんの
紹介で日航の方に資料を出し手紙を送り、何とか出発の2週間
前に許可が降りた。
ニューヨークに知り合いがいないが、誰かがコーディネートしてく
れる必要があった。
コンサートのための場所探し,ホテルの手配、レンタカーの手配、
集客...。
メキキというMLの中で知り合ってCDを買って下さった浅野さんに
駄目元でメールを送ったところ「やりましょう!手伝います!」と
即答があり、いろいろと動いて下さって会場も決まっていった。
浅野さんのエールがなかったらニューヨークで演奏することは
不可能だった。
忙しい中、何度も何度もメールをやりとり。
そのうち、浅野さんの会社の小笠原さんもCDを聴いて気に入って
下さって積極的にいろんな会場をあたって下さったり。
熊野の波田須という小さな町とニューヨークの大都会と瞬時に
会話が可能なITのすごさを痛感。

三重県も協力をしてくれ、北川県知事さんは、推薦文を書いてくだ
さったし、
県民局の山川さんは、アメリカンセンターの推薦文を取り付けて
くれ、300キロの機材の通関がスムーズに行けるように準備して
下さった。
県の姿勢は本当に素晴らしい!
三重県に住ませてもらったことを誇りに思った。

日本で一緒に行きたい人?と呼びかけたが、パイオニアの
片桐さん、天女座でロシア演劇をやってくれたダニエラさんが
名乗り出てくれた。
もちろん根本さん夫妻、喜峰パパも!
空港では毎度のことだが、300キロの機材をチェックインする
だけでも大変だった。
27箱の機材を名古屋空港から入れる。

7名は、成田で合流して、ニューヨークに降り立った。
旅立つまで「危ないから辞めた方がいい!」とか、
「もっと準備をしてから行ったら!」と皆から言われた。
しかし、今、浅野さんや皆が協力を申し出てくれている。
今、行かなくてどうする!

少しでも優しい音の風が吹けば...と12月12日に旅立った。
空港で機材のチェックも思ったほど厳しくはなく、スムーズに
税関を通過。
浅野さん、小笠原さん(英ちゃん)がレンタカーを借りてきて
出迎えて下さり、初対面とは思えないほど嬉しい出会い。

時差ボケの頭でホテルに直行し、すぐに会場の下見に出かける。
ホテルも5人部屋を2つ。大きな部屋なので快適。韓国街にあり、
浅野さんのオフィスまで歩いて7分くらい。便利が良かった。
ニューヨークの街は、どこでも美しいクリスマスツリーが飾られ
ていて、イルミネーションが綺麗だった。
12月13日日系人会での演奏

高齢の日系人の集まりがあり、150名の前で演奏。
しかし、食事も演歌の歌手もあり、事務局は出来たら狭い
ステージにシンセサイザーはお断りしたいという意向を示す。
ピアノだけで演奏を...と言われたが頼み込んでセッティング
時間はゼロ。
私が話でつないでいる間に後ろで皆でセット。
それでも時間がかかりそうなので、ピアノを弾きましょう!と
グランドピアノのところに行くと、椅子がない!
かまわないから立ったまま演奏。「ふるさと」を弾き始めると
老人たちが歌ってくれる。
会場に和やかな空気が流れ始める。

やっとセットが完了して「熊野古道をゆく」を熊野の映像と共に
演奏。拍手が沸き起こる。
トンちゃんの出番、トンちゃんも時間がなくて慌てていたため、
手作り楽器のリラを落こっとし「オー!」会場がざわめく。
しかし、トンちゃんの4オクターブのボイスが低音から高音まで
架け上ると大喝采。
電気大正琴の即興も大受け。
20分のコンサートは、大きな反響で終わってから皆に声を掛け
られる。
「ワンダフル!」「良かった!あなたたちならTVも飛びつくわ!」

最初事務局の人はもうすでにイベントがあり、その上にコンサート
をすることを余り賛成しなかったし、演奏時間も20分、しかもセッ
ティング時間もゼロ。しかし、やらないよりやった方がよかった。
ここでレストランのオーナーの米濱さんと知り合う。

貿易センタービルの1階にめんちゃんこ亭というレストランがあっ
たそうで、その日は、開店前だったので従業員も逃げて助かった
が店は跡形もなく壊れたという。

17日に打ち上げをしたかったので米濱さんの55丁目のお店「鬼が
島」を予約。

14日
今日は、ダブル。昼にオリンピックセンター、夜インターナショナ
ルセンターの2つの演奏。

まずオリンピックセンター。センターは、大きなクリスマスツリー
で有名なロックフェラーセンターの近くにあり、英ちゃんの知り合
いで2階の『桃太郎』という美容室の宮本さんの紹介で決まったそ
うで『桃太郎』に挨拶に行く。
「今回は時間がねえー。なかったから次回は、もっと協力します
よ!」と宮本さん。

オリンピックセンターのロビーは、グランドピアノが置いてありピ
アノも演奏することに。
お昼休みにビルから降りてきた人々に浅野さんが、コンサートの
趣旨を説明してくれる。

ダニエラの歌から始まり、「熊野古道をゆく」から演奏。即興は、
観客から「雨」、「サンセット」
トンちゃんの歌。電気大正琴。ピアノの即興。1時間の演奏。
終って黒人の男の人でこのビルに勤めている人が「素晴らしい!
ピアノが良かった!毎月演奏してくれたらいいのに!」
即興の題をくれたおとなしい感じのおじさんも「素晴らしかったで
す!」と握手を求めてくれた。

そこから移動。浅野さんのオフィスに向かう。
黒木さんの紹介でヨシさんという若い男性も手伝いを名乗り出て
くれて合流。
インターナショナルセンターに5時に搬入。
生徒さんたちが、テーブルで予習復習したり、しゃべったりしてい
る前でセッティング。
7時スタート。
ダニエラの歌。

私が英語で「20年前にニューヨークに来た時、自分にとって
音楽は何かがわからなかった。
トミーフラナガン、ハンクジョーンズ、アートファーマーのコン
サートを聴いてショックを受けた。
自分の言葉を話さなければ...とオリジナルを作り始めたが、
20年ぶりにニューヨークに来れて嬉しい」と話し、演奏。
即興は、「平和」「愛」
トンちゃんが歌っている間に着替えて外で待っていると俳優の
神田瀧夢さんと久保田さんに出逢う。
「コンサート素晴らしかったです!僕たちは明日日本に一時帰国
するので途中で帰りますが、天女座にも行きたいです!」

演奏が終ると、ロンカーター(マイルスデイビスと共演していた
世界的なベース奏者)のマネージャーをしている日本人女性の
村田さんが、「最初のメッセージを聞いてびっくりしました。
ハンクジョーンズや、トミーフラナガンの名前が出てびっくり!、
紫帆さんがジャズを聴いてから自分の音楽に目覚めたという
話は嬉しかったです。
音楽が優しくて最初の一音が出た瞬間、心が温かくて、本当に
嬉しかった!」

ロンカーター!私は彼のベースが大好きだった!ハートフルな
演奏、美しいメロディー、優しい目をしたロン。
苦しかったバンド時代、何度も彼のアルバムを聴いていた。

ロンさんにぜひ!と「ぴあの」のCDを渡す。信じられないくらい
嬉しい出会い。

浅野さんの奥さんは、イタリアの方で初めて出逢う。素敵な人。
「浅野さんにお世話になってしまって...。」と言うと「ノブは、
広くて大きな心の持ち主だから何でも言ってね!」
又、英ちゃんのバンド仲間の人が聴いた後「音楽を聴いて涙を
流したのは人生においてこれが2度目です」と感動してくれた。

20年前のニューヨークは緊張感が漂って怖い感じだった。
しかし、今回なぜか空気が穏やかな感じがした。
ヨシが、「あんなテロがあってから、最初は皆怯えていたんだ。
でも最近ちょっと落ち着いてきて皆人に優しくなったような感じ。
たとえば、ドアを開けても次の人の為にドアを押さえておいて
あげるとか。明日を怯えるより今日を楽しく生きようとしている。
特に今はクリスマスだから心が少しうきうきしているみたい。」

地下鉄に乗っても夜歩いても怖い感じがしなかった。
「東京みたいな感じになるわ。
やっぱりジュリアーニ市長さんに変わってから雰囲気が良く
なったの。
でも市長さんは任期が切れるのでもう辞めるけど。」
浅野さんのオフィスの高久さんの奥さんが話してくれた。

インターナショナルセンターでの演奏を終えてほっと一息。
夕食は、中華のテイクアウト。テイクアウトは韓国料理でも豊富に
揃っている。量が多くて食べきれないくらい。

15日
朝、貿易センターの跡地に根本さんたち、片桐さん、喜峰パパと
行く。
無残に壊れたビルは大分片付いているものの、まだ崩壊部分が
むき出しの所も。
粉塵は以前よりましになっているので、マスクがなくても歩ける。
ミッシングの写真つきのメッセージが痛々しい。
花やぬいぐるみが備えられ、カレッジという(勇気)大きな旗も。
行列が出来るくらいたくさんの人が冥福を祈りにやってくる。

周囲のビルも爆風を受けて窓ガラスが壊れたりしていて、当時の
すごさを物語っている。
今回は、追悼という意味だけでなく、祈りのコンサート。
世界の平和が早く実現しますように!

16日
日本から折鶴が5000羽届く。神戸の元気村からの呼びかけで
大阪の高校生が手作りしたもの。
鬼丸さんからメールがあり、ホテルに鶴を送ってもらったのだ。
段ボール3箱の鶴。
その鶴を持って貿易センターに行く。
壁には、たくさんのメッセージや写真が飾られているので、ポリス
さんに訳を話して柵の中に入れてもらう。
そこに美しい七色の鶴を架けることが出来たので、皆でお祈りを
捧げる。


今日は、いよいよ最後のコンサート。天理カルチャーセンターに
夜5時到着。
ここは、天理教だけでなく、いろいろな人が借りている貸し会場、
ダンサーの那須さんに教えてもらった。
那須さんは、ニューヨーク在住だが、今の時期日本にいるので
入れ違いだった。

ホールは借り賃を払って借りている。それだけに集客が心配。
7時から始まったが、英ちゃんや浅野さんが、外でチラシを撒い
てくれたお陰でそこそこ人が入ってくれた。
即興は、「チャイルド」「ドリーム」
浅野さんからのリクエストで喜峰パパの「ありがとうデございめー
す!」も大受け。
最後は、「熊野人」皆が手拍子。拍手が暖かい。

この会場では長崎さんという方がテロ事件の写真の展示をして
いたので、写真に囲まれて演奏。本当にいい雰囲気だった。
長崎さん「この時期に演奏に来るって尊敬です。来るはずの
有名な某歌手はキャンセルしたし、僕の知る限り日本から誰も
コンサートしに来ていません。これからも交流して下さい。」
と言ってもらって堅い握手をかわす。


終って、会場費を払っていると、カルチャーセンターの福井さんが
「この間、熊野に行ったんですよ。
ヨシクマ新聞の社長にもお会いしましたよ!それにうちの所長さん
は、熊野の波田須出身なんです!」
「ええっ!?波田須って天女座のあるところですよ。信じられませ
ん!偶然とはいえすごいですねえ!」
聞けば天女座の下の少林寺がご実家とか。
うーん。すごい!

ヨシが知り合いのレストランのドイツ人に焼いてもらったとケーキ
をプレゼントしてくれた。
アートフルなケーキ!そこには、日本語で「ありがとう」と書かれ
ていて、皆感激!

17日
1週間はあっという間。明日は帰国の日。今日は、打ち上げ。
鬼ヶ島で浅野さん夫妻、英ちゃん、ヨシ、高久さん、ダニエラ、
友人のりナ、片桐さん、友人の堀さん、喜峰パパ、トンちゃん、
私、根本さん夫妻。鬼丸さんと友人の串光さん。

そこへロンカーターのマネージャーの村田さんが来てくれる。
鬼ヶ島の米濱さんの紹介で村田さんがコンサートに来てくれた
そうである。
「どうしてももう一度お会いしたくて...。」と村田さん。
「私も。あの時、少ししか話せませんでしたし。」と私。

トンちゃんにも村田さんを紹介。彼女は、ロンカーターだけで
なく、エディーゴメスというベーシストのマネージメントも。
世界の超一流の人々のマネージャーをしているのに、
すごく謙虚で素敵な女性。
「一流の人をたくさん見たり聴いたりしました。でも、心に響く
音楽は少ないんです。
その点紫帆さんの音を聴いたとき、心に温かいものが流れて
来てすごく感激しました。」
村田さんの言葉に救われる。

「私たちもその言葉でやってきた甲斐がありました。私たちの
音楽はテクニックではないのでジャズの人に評価されたことは
ありませんし、嬉しいです!」

村田さんは、ロンがいかに素晴らしい人で家庭やスタッフを
大切にする人か話してくれた。
村田さんの話してくれたことは、私たちの心に残る宝だった。

「天女座にも行きたい!」と村田さん。
「ぜひ!いらして下さい!」
「ロンの演奏も出来たらいいですね!」
それは!すごい!実現したらすごい!
「いつの日か、ロンを日本に連れて行ったらご紹介しますよ!」
「夢みたいですね。お会いしたいです!」
「それにいろいろ紫帆さんたちと共演したら良さそうな人もご紹介
できそうです!」

村田さんは、本当にすごい仕事をされているのに、あくまでも
控えめに話してくれた。
「私がすごいんじゃないんです。ロンや、エディー、彼らがすごい
んです。」
「いえいえ、彼らが村田さんを選んだんですもの。素晴らしいから
ですよ!」

浅野さんが、スピ−チしてくれ、「今回、立ち上げに時間がなかっ
たけど、何だか大きな力に動かされていたようです。
桃太郎美容室。鬼ヶ城の紫帆さんの曲、鬼ヶ島というレストラン。
折り鶴を持ってきた鬼丸さん。天理の所長さんは波田須出身。
何だか不思議です。本当に企画してよかったです!」
もちろん浅野さんが受けて立ってくれなければ、公演は成功しな
かったし、
本当にニューヨークの人たちの絶大なる協力があってこそ!
B型人間!ノリのいい優しい浅野さん!

ニューヨークは、怖いとたくさんの人に言われ「今の時期に行くの
は無謀だ。
クリスマスの頃は特に危ないよ!タンソ菌も怖いし!」とたくさん
の人に言われた。
しかし、来てみるとニューヨークは魅力ある街だった。
人は皆優しかった。
コンサートを喜んでくれて、自費で来た甲斐があったし、いろいろ
な素晴らしい出逢いがあった。
エールを送りに行ったのに、逆にたくさんの人に勇気づけられた。

駐車場に車を置きに行ったり、いろいろとこまごま助けてくれた
英ちゃん。
ニューヨークでバンドでプロになるのを目標にしているそうだ。
夢に生きてね!
ヨシもマッサージと作曲でプロを目指している。

鬼丸さんたちは、ニューヨークで平和のメッセージを市民から
集めてアフガンに届けるそうだ。
「エルサレムやアフガニスタンでも演奏したいね!」と盛り上が
る。

「紫帆さん、トンちゃんのようなオリジナリティーのあるミュージ
シャンは、もっとニューヨークでやるべき!
と英ちゃんに言われた。それが一番嬉しかった!」とトンちゃん。

300キロの機材を無料で運んで下さった日本航空の皆さんにも
感謝。同行してくれた根本さん夫妻、
ユニークな片桐さん、歌ってくれたダ二エラ、皆に感謝!

いつの日か、また、今度はアフガニスタンでも、エルサレムでも
必要とされるところにはどこにでも行きます!
I LOVE NY! 来年も演奏したい!愛をこめて.....   
            紫帆りん


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