YAMAHA全国大会に出場しました


天女座物語309
 2008/3/4-9  

  
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ある日、地元紙にYAMAHAが電子ドラム、エレキギター、シンセサイザーを借与して
モニターになってくれる高校を探しているという記事を見て早速応募。高専の音楽室に届いた
総額20万くらいの楽器。生徒に使って貰って、レポートを提出しました。
よく読んでみると、「全国大会にエントリーすることが条件!」いきなり2バンドを組んで練習を
することになりました。
ひとつは、B’Sが好きな東聖也君のROOZE(ボーカルは陸上部の山城君)
もう一つは、UNNO BAND (ボーカルの陸上部 海野君の名前を取りました)
どちらのバンドもシンセサイザーがいないので私が参加。
(先生一人だけ参加が許されています)

今年の1月にデモテープを送り結果を待ちました。すると!なんと!UNNO BANDが
見事80校中、BEST10に入り、東京大会出場となったのでした!
軽音クラブを立ち上げて2年での快挙に学校中が湧きました!

3月4日〜6日までずっと練習を重ねてきました。
ギターの若松君は皆の腕に巻くミサンガを作ってくれました。
またいつもはトンちゃんが料理するのですが若松君も一日だけオムライスを。。うまかった!
6日には、光正さんが祈願までしてくれました!感謝!7日に東京へ。。。。
引率は私、トンちゃんもサブで撮影班として。
8日は、新宿の東放ミュージックカレッジにぞくぞくと全国からバンドが結集。

スタッフの人たちがセッティングをしていて11時頃からリハーサルがはじまりました。
「自分の演奏よりも生徒の演奏が心配で緊張してしまうわ!」と私。
リハーサルでは、普通、時間がなくて曲の途中で止められてしまうのに最後まで
「アイラブユー!」を海野君が熱唱。
スタッフも「最後まで歌って貰ってしまったわ。。。」と聴き入っていた様子。

バラードが少ない中で結構目立ったかも。。。。
親戚の須賀夫妻や、海野君のお母さん、妹さんも応援に駆けつけてくれました。
ヤマハのスタッフの人たちは親切にサポートしてくれましたので安心して本番はいつもより
落ち着いて海野君が歌いあげました。

終わってから、自己紹介。海野君(ボーカル)吉村大輔君(電子ドラム)、若松良侑君(ギター)
私が「指導の矢中紫帆です。」と言うと
審査員が「え!?あ、先生だったんですね。
どおりでシンセサイザーがなかなか御上手だと。。。。」(爆笑)
高校生に間違えられたみたいです。。。。。笑遠目だったのと、ジーンズに鎖ジャラジャラの
若作りだったからですね。。。笑

「ボーカルがぐっときましたよ。」と審査員。海野君は「好きな子のために、アカペラでホウキを
持って初めて新宮音楽祭で歌った曲です。」と告白。
「出来はどうでしたか?」とインタビュワー。
「120%です!彼女への思いが伝わったと思います!」と海野君。
青春やねえーーーー!

中学生のバンドもなかなかうまいし、出場したバンドはそれぞれレベルが高かったです。
北は札幌から南は広島までの10校。

今回は、順位をつけないそうで、BEST10に入ったということでしたが生徒には一生の
思い出になったと思います。

最後はゲストのローリーさんたちのでも演奏で会場は盛り上がりました。。。。
ローリーさんの汗が私の口に入りました。。。笑

興奮気味の生徒たちとTVインタビューも受けて揃いのミサンガも撮影して貰いました。

翌日の9日は、私の誕生日。若松君が指輪をプレゼントしてくれました。感激!

最終の新幹線に皆が乗り遅れそうになって、あわや。。。と冷や汗もかいたりしましたが。。。
遅れて改札口にやってきた海野君を待っている時、ビニールを敷いて床に座っていた私を
見て若松君が「床に座っちゃダメですよ。ふうが悪い!」
「でも敷物しいてるよ。。。」と私。「そういう問題じゃないですよ。
足まで伸ばしているし。。。。」とワカに叱られてどっちか先生だか。。。。爆笑

先生らしくない紫帆りんでしたがやれやれ。。。。無事に引率が終わりました。
また来年もトライしたいです。ちなみに、私たちとバンドを組んでいた卒業生たちは
「俺たちが在学中にコンテストがあったらなあ。。。。!」と
悔しがっていました。。。。今年初めての企画なので残念!
私も若い彼らといると本当にエネルギーを貰って若返りますにゃんこら。
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